進路

【NPB】戦力外・引退選手の22人が進路未定、不明

プロ野球戦力外・引退選手進路 22人が未定、不明

 日本野球機構(NPB)は18日、2016年の戦力外選手・引退選手計125人の進路について、追跡調査結果を発表した。

 野球関係に進んだのは88人(70%)。そのうちNPB(他球団と契約、コーチ、職員、スタッフなど)は60人(48%)。

 その他の野球関係は22人(17・6%)で、内訳はBCリーグ9人、BFリーグ1人、社会人野球11人、大学野球コーチ1人。野球解説者は6人(4・8%)になった。

 野球関係以外に進んだのは37人(30%)。就職は14人で、自営業1人。未定、不明は22人になった。不明の中には、消防士を目指しながら、試験結果がまだ出ていない2選手なども含まれている。

 調査を開始した07年以降、NPBに残った人は全体の60%が最多だった。それが16年は48%まで減少。プロ入り前に所属した社会人チームに復帰する例なども増えている。

 NPBのキャリアサポート担当、手塚康二氏は「選択の幅は広がったが、その中で一般の会社への就職はあまり増えていない。宮崎フェニックスリーグのアンケートでは、(引退後の)一般企業への就職希望が増えているが、辞めた選手に波及するのはあと2~3年かかるかもしれない」と見通しを示した。

【福岡ソフトバンクホークス】元ヤクルト新垣渚氏、古巣で球団職員に

元ヤクルト新垣渚氏、古巣ソフトバンクで球団職員に

 ソフトバンクは30日、新入団スタッフなどを発表し、同球団とヤクルトでプレーして昨季限りで現役を引退した新垣渚氏が野球教室などに携わる野球振興部に入社した。入社は1月1日付。

 1軍コンディショニング担当にはラグビー・トップリーグのヤマハ発動機でコーチを務めた大塚潔氏が就任。昨季3軍監督の石渡茂氏が国際担当アドバイザー、1軍野手総合巡回コーチだった関川浩一氏が作戦・戦略アドバイザーになった。

【オリックス・バファローズ】戦力外の坂寄氏&大田氏、警察官を目指す

オリックス戦力外の坂寄氏&大田氏、警察官を目指す

 オリックスを今オフ戦力外となった坂寄晴一氏(26)と大田阿斗里氏(27)が警察官を目指していることが24日、分かった。坂寄氏はこの春に兵庫県警察の採用試験を受ける予定。関係者は「採用されたら、そこで野球をしたい気持ちがあるようだ」と話し、同県警のチーム「県警桃太郎」に所属したい希望を持っていることを明かした。また関係者によると、大田氏は警視庁の採用1次試験を先ごろ受けて合格。面接、体力テストなどの2次試験に向かうという。採用されれば、この春から赴任することになる。

 オリックスでは14年オフに戦力外通告を受けた庄司龍二氏と西川拓喜氏が大阪府警察に採用された。

【社会人野球】楽天退団の相沢が新潟のバイタルネットに入部

昨季楽天退団の相沢が新潟のバイタルネットに入部

 社会人野球のバイタルネット(新潟市)は16日、前楽天の相沢晋投手(29)の入部を発表した。

 この日行われた本社取締役会で決まった。同社の元プロの入部は初になる。相沢は巻高OBで、石巻専大、日本製紙石巻を経て14年のドラフト8位で楽天入団。昨季限りで退団した。10日に入部テストを受けており、佐藤英司監督(38)は「本人もまだやれると思っている。さらに成長してほしい。同時に、若手の指導も期待したい」と話した。

【BCリーグ】元巨人の加藤健氏、BC新潟の社長補佐に就任

元巨人の加藤健氏、BC新潟の社長補佐に就任

 昨季限りで現役を引退した元巨人捕手、加藤健氏(35)が16日、BCリーグ新潟の球団社長補佐に就任した。

 加藤氏はハードオフ新潟で就任会見を行い、「新潟に恩返しをしたいと思っていました。新潟の野球を盛り上げたいです」と笑顔で抱負を話した。2月から本格的に業務を開始する予定で、BC新潟が手掛ける少年野球教室「野球塾」での指導、講演活動、チーム編成などフロント業務全般に関わっていく。「外から野球を見て、いろいろなことを吸収したい」。今後は巨人で過ごした18年間のプロ経験を生かし、新潟野球の発展のために尽力する。

【福岡ソフトバンクホークス】元ドラ1巽真悟、人材派遣会社で再出発

ソフトバンク元ドラ1巽真悟、人材派遣会社で再出発

<さよならプロ野球:ソフトバンク巽真悟投手>

 プロ野球界の後輩のためにも大事な社会人デビューとなる。ソフトバンク08年ドラフト1位の巽真悟投手(29)はエイジェックという会社に就職し、人材派遣の仕事を行う。

 「和歌山の田舎者があこがれの東京で頑張ってきますよ」。来年1月中旬、30歳になった巽の新生活が始まる。東京丸の内のオフィスとロッテの本拠地ZOZOマリンがその舞台となる。同社の派遣登録する人の面接をしたり、球場でチケットもぎりのバイトなどに指示を出す役目もする。

 家賃10万円を切る都内の1Kアパートで再出発。車もやめ電車で通勤する。「福岡でも電車乗ったことないのに、東京は乗り換えも大変ですよね」。これまで野球一筋。社会へ飛び出す不安は大きい。個人契約をしていたメンタルトレーナーからエイジェックを紹介された。プロアスリートのセカンドキャリアに今後力を入れたい同社が巽を第1号、モデルケースとして指名した。「来年のオフまでの1年間にこれくらい巽は成長したと言われないと」。巽が頑張ることで、来年以降プロ野球界から去る若者の受け皿も広がる。

 「トライアウトでしっかり投げられたが話がなかったので」と、現役引退を決意した。今季は2軍で中継ぎとして38試合、防御率2・72。結果を出しても1軍登板はなかった。最後の望みをかけたトライアウトでは最速148キロをマーク。だが11球団から声はかからず、12日に入社の意思を伝えた。

 エイジェックは来季からBCリーグに参入する栃木の親会社でもある。だが、巽はそこには関わらず会社員として働く。プロ8年間でわずか1勝。昨年8月11日オリックス戦、柳田のサヨナラ3ランで決まったため「ウイニングボールは手元にないんですよ」と笑う。08年ドラフト1位右腕は来年、スーツ姿で千葉遠征に来たホークスナインを迎える。【石橋隆雄】

 ◆巽真悟(たつみ・しんご)1987年(昭62)1月10日、和歌山県生まれ。新宮から近大を経て08年ドラフト1位でソフトバンク入団。プロ通算24試合1勝4敗、54回を投げ防御率は7・50。16年の年俸は850万円(金額は推定)。182センチ、79キロ。右投げ左打ち。【ソフトバンク担当=石橋隆雄】

【福岡ソフトバンクホークス】金子圭輔は球団広報に

ソフトバンク金子圭輔は球団広報に「想像つかない」

<さよならプロ野球:ソフトバンク金子圭輔内野手>

 ソフトバンク金子圭輔内野手(31)は球団職員、チーム付き広報として選手とマスコミの架け橋となる。

 年末のスローガン発表の際に、きれいにヒゲを剃り、スーツ姿で報道陣にあいさつした。現役時代は1軍では内野ならどこでもできる控え。ファームでは優勝した時に胴上げされるほど若手からの人望が厚かった。

 「どんなふうになるか、まだ想像もつかないですね。ドームにも筑後にも行きますよ」。現役時代のように広報でもかゆいところに手が届く存在としてチームを支えていく。【ソフトバンク担当=石橋隆雄】

【千葉ロッテマリーンズ】香月良仁は熊本GLでコーチ兼任

ロッテ香月良仁は熊本GLでコーチ兼任 若手支援へ

<さよならプロ野球:ロッテ香月良仁投手>

 プロ生活に別れを告げた元ロッテ香月良仁投手(32)は先日、第2の故郷である熊本に引っ越した。「朝は手続き。昼から自主トレして、その後は会社で打ち合わせ。慣れるのに精いっぱいです」と話す声は、充実感に満ちていた。

 10月1日に戦力外通告を受けた瞬間「不思議と、熊本に戻るんだろうなと」。福岡の大学で野球はやめるつもりだったが、社会人チームの熊本ゴールデンラークス(現鮮ど市場ゴールデンラークス)の目に留まった。1学年上の兄良太さん(元巨人)と比べ、「自分は大したことない」と思っていた。だが、その兄が「お前には才能がある。なんで真剣に野球をやらないんだ」と背中を押してくれた。チームの母体会社が経営するスーパーでコロッケを売りながら都市対抗に出場。プロの門をこじ開けた。

 決して、華やかな8年間ではなかった。「一言で言うと、しんどかった」と告白した。「僕は素質、見栄えで劣る。チャンスは少なかった。その分、結果を出し続けて順番が回ってくるのを待つしかなかった」。それでも「誰よりも野球に向き合った自負はあります」と胸を張る。試合後のウエートが日課だった。「投手に、そこまで筋力は要るのか」という周りの声にも「何かやってダメなら仕方ない」と黙々と取り組んだ。7年目の昨季、自己最多40試合登板で実を結んだ。

 甘くはなかった。「勝負の年」と臨んだ今季は11試合にとどまり、戦力外に。すると、古巣がコーチ兼任で声をかけてくれた。「地震もあった。僕にできることはスポーツ。熊本を元気づけたい。プロに行きたい子のお手伝い。でも、エースで投げるつもり。恥ずかしくないように」と意気込む。目指すは、自身が投げた08年以来の都市対抗出場だ。【ロッテ担当=古川真弥】

【東北楽天ゴールデンイーグルス】牧田はジュニアコーチで第2の人生

楽天創設メンバー牧田はジュニアコーチで第2の人生

<さよならプロ野球:楽天牧田明久外野手>

 最後まで、楽天一筋を貫いた。仙台に冬の便りが届き始めた11月中旬。国内最後の楽天創設時メンバーだった牧田明久外野手(34)が、ユニホームを脱ぐ決断を下した。

 10月23日に球団から来季の構想外を伝えられ、熟慮の末に現役引退の道を選んだ。「僕はこの球団が好きなんです。最後まで楽天で終わりたかったし、家族も仙台の街を気に入っている。どうしても、他のチームでプレーすることは考えられませんでした」。心の奥底の声に従った。

 16年は16試合という限られた出場数ながら、打率3割5分5厘の成績を残した。他球団でプレーする選択肢もあった。それでも、自分を飛躍させてくれた球団への思いが挑戦を思いとどまらせた。「楽天1年目の05年は本当に何もないところからのスタートでした。それが日本一まで経験させてもらい、球場も大きくなって、こんなにファンも増えた」。体が動かなくなるまで選手を全うしたい気持ちはあった。その一方で、体が動くうちに球団に何かを還元したいとも考えていた。そんな中に、野球少年を教えるジュニアコーチ職のオファーを受けた。

 自分を支えてくれた2人の娘と妻に、恩返しがしたかった。「他球団で挑戦しようと考えたこともありますけど、やはり僕は家族のそばにいたかった」。遠征で家を空ける事の多かった現役時代、心の支えは娘2人からの手紙や電話だった。穏やかな人柄と優しさで後輩から慕われた牧田らしく、周囲への感謝が現役を引退する決め手となった。

 楽天創設時メンバーであると同時に、現役では残り少ない元近鉄戦士でもあった。「こんなに長くできるとは思っていなかった。近鉄と楽天では梨田監督に野村監督、星野監督と、名将の下で学ばせていただきました。これからの人生に、しっかり生かしていきたいです」。16年間に及んだ選手生活で得たものを、第2の野球人生で伝えていく。【16年楽天担当=松本岳志】