高校野球

【高校野球】静岡の強豪・飛龍野球部22分抗議で監督ら3人解任

静岡の強豪・飛龍野球部22分抗議!監督ら3人解任

 高校野球、飛龍(静岡)の監督、部長、コーチ計3人が、公式戦での執拗(しつよう)な抗議を理由に、同校から解任されたことが6日、分かった。

 問題は、9月30日の秋季県大会準々決勝、常葉大橘戦(清水庵原球場)で起きた。球場にいた高野連関係者によると、9回裏、飛龍の攻撃中、右中間フェンス際に大飛球が上がった。審判はフェンスを越えていないインプレーと判定したが、本塁打と勘違いした打者走者がスピードを緩め、三塁でタッチアウトになった。直後、監督らが判定を巡って審判団への抗議を開始。選手をベンチに引き揚げさせるなどし、試合が22分間中断した。長年、高校野球に携わってきた同関係者も「こんなことは初めて」と話す異例の騒動になったが、試合は再開して飛龍は0-3で敗退。現段階で高野連からの処分はない。

 だが、騒動には余波があった。この試合をスタンドで観戦していた井出啓之校長(61)が「(執拗な抗議は)尋常ではないこと」と重く見て、監督ら首脳3人を野球部の指導から外す措置を取っていた。現在は、岩崎暢明副部長(33)が新監督として指揮しているが、3人の解任に納得しない声も噴出。ネットで解任撤回の賛同者を求める動きが出ている。

 同校は2015年夏の県大会準優勝など、甲子園出場を狙える強豪として知られる。井出校長は日刊スポーツの取材に「(監督らは)熱くなった部分はあると思いますが、教育上で良くないことですし、(指導から)外すことにしました」と話している。

【高校野球】清宮、プロ入り表明

清宮プロ入り表明「プロの世界の厳しさは十分理解」

 史上最多の高校通算111本塁打を誇る早実(西東京)清宮幸太郎内野手(3年)が22日、会見を開き、プロ志望届を提出することを表明した。

 清宮は「私、清宮幸太郎はプロ野球志望届を提出することに決めました。プロの世界の厳しさは十分理解しているつもりですが、目の前の目標を1つ1つクリアしていきたいと思っています」と話した。

 今月上旬に行われたU18W杯後に「大学かプロかで迷っています」と話し、12日の日本帰国後にラグビーヤマハ発動機で監督を務める父克幸氏(50)らとの家族会議を実施。帰国から10日後のこの日に意思を表明した。

 現状、12球団は清宮獲得の撤退意思は明らかにした球団はなく、トップクラスの評価は変わらず。89年の野茂英雄、90年の小池秀郎の最多8球団の競合を超える可能性もある。

 運命のドラフト会議は10月26日に行われる。

【高校野球】来春センバツからタイブレーク制

来春センバツからタイブレーク制 11月最終決定へ

 来春センバツで試合の早期決着を促すタイブレーク方式が導入されることが13日、濃厚となった。この日、日本高野連は大阪市内で技術・振興委員会を開き、来春センバツから同方式を導入する方向で意見がまとまった。竹中雅彦事務局長は「全国大会でのタイブレーク導入はやむを得ないという意見が大勢を占めた」と説明した。

 日本高野連は、5月に各都道府県連盟にタイブレークに関するアンケートを実施。47連盟のうち「おおむね賛成」が38連盟、「時期尚早」が2連盟、「回答なし」が7連盟だった。今春センバツで、春夏通じて初の1大会で2試合が延長15回引き分け再試合となったことを機に、議論の熱が高まっていた。

 WBCなどの国際大会に合わせて「無死一、二塁から」という状況で運用される可能性が高い。開始回については、過去5年の春夏甲子園や昨夏の全国地方大会を参考に「12回までに終了する試合が80%」とのデータが出たため、「13回」から採用する案が検討されている。

 今後は審判規則委員会などで議論され、11月の理事会で最終決定される見込み。都道府県の大会について全国大会と統一して実施するべきかに関しては、この日結論が出なかった。

 ◆タイブレーク 野球やソフトボールで試合の早期決着を目指し、延長戦で人為的に走者を置く特別ルール。社会人では都市対抗で03年から、全日本大学選手権は11年から、高校軟式は全国選手権で15年から採用。今年3月のWBCでは11回以降に実施。

 ◆延長13回以上の試合 高校野球全国大会通算5562試合(春2264試合、夏3298試合)のうち、延長13回以降に進んだのは123試合。全体の2・2%となり、97・8%は12回までに終わっている。最近10年(08~17年)に限れば13回以上は760試合中10試合(1・3%)。

【高校野球】都立新宿コーチに中日元球団代表の井手峻氏が就任

都立新宿コーチに中日元球団代表の井手峻氏が就任

 新宿(東京)が、OBで中日元球団代表の井手峻氏(73)を外部コーチに招聘(しょうへい)したことが1日、分かった。

 井手氏は東大で投手として活躍し、66年2次ドラフトで中日3位入団。投手、外野手としてプレーし、76年現役引退後はコーチとフロントを歴任。退団後、15年に学生野球資格を回復した。新宿・田久保裕之監督(35)は「(要請を)快諾していただき、5月から真摯(しんし)で熱心な指導をしてくださっています」と話した。同氏は週1回のペースで指導に当たる。

【高校野球】浜松開誠館のコーチに就任した中村紀洋氏が会見

中村紀洋氏会見「打ち勝つという部分に貢献したい」
[2017年5月1日13時20分]
TL
浜松開誠館のコーチに就任し、会見に臨む中村紀洋氏
浜松開誠館のコーチに就任し、会見に臨む中村紀洋氏

 4月1日付で浜松開誠館野球部(静岡)の非常勤コーチに就任した、元DeNA内野手の中村紀洋氏(43)が1日、浜松市内の同校で就任会見に臨んだ。

 -あいさつ

 中村氏 これから子どもたちの夢に向かって自分の経験をもとに、子どもたちをサポートしたいです。学校の考えに知育、徳育、体育があり、徳育について多々考えるところがあり、合致しました。スポーツを通じ、生きる力を与えたい。野球の夢をサポートし、上を目指して頑張っていきたい。

 -経緯、決断理由は

 中村氏 佐野心監督とはプロに入団した年が同じで92年のジュニアオールスターでともに出場しました。そのつながりもあり、今年2月に打撃と守備を見てくれないかと依頼を受けた。自分が子どもと接する姿を見て、私が簡単かつ分かりやすく指導すると、子どもが笑顔になっていると驚かれ、そこを評価していただいた。私も教える中で汗水流して泥まみれになっている選手の力になれないかと思い決断した。

 -チームに期待するところ

 中村氏 指導させてもらうので、今までの成績ではなく、1つでも上に上がってもらえるように、そして最終的に、いずれは甲子園にも行きたい。

 -どこを強化したい

 中村氏 試合を見たが、一切バントをしない。打ち勝つ、守り勝つチームのなかで、私は打ち勝つという部分に貢献したい。1人でも多く、思い切り振れる打者が増えればと思う。

 -技術的指導は

 中村氏 現役時代から、自分自身が教わったことはどうすれば子どもがわかりやすく聞いてくれるかを常に考えていた。難しいことを話しても理解がなければ進歩がないので、できる限り簡単に指導しようと思う

 -打法について

 中村氏 基本を大事に。どんな打法であれ、基本があれば、力強いスイングは出来ます。

 -チームになにを与えたい

 中村氏 いかにプレッシャーのかかった場面で平常心でプレー出来るかを伝えたい。エラーしたくないとかチャンスに打ちたいと思うでしょうが、その場面で普段通り出来るメンタルを育てたい。技術面もそうだが、メンタル面も大事だと思うので。

 -実際の指導は

 中村氏 3月下旬に1回。4月に2回している。練習試合を見ながら、選手の動きをチェックし、指導をしています。前日4月30日に、ノックや打撃投手をし、練習後に選手たちと話す機会がありました。みんなに心境を聞くために、挙手してもらいました。「エラーするのがかっこわるいか」と質問したら、思いのほか手を挙げる子が少なく楽しみだなと思いました。また「空振りはかっこわるいか」と聞いたら、結構多かった。けど、そんなことはなく、空振りもエラーも野球にはつきものだから、かっこ悪いことではないよと話した。

 -手応えは

 中村氏 手応えは大あり。間近で見せてもらったときにプロ野球の選手のような打球を見せてもらった。選手に聞くと「あんな打球は初めて」と言っていただけたので。

 -現役続行中では

 中村氏 またチャレンジさせていただく機会をつくってもらった浜松開誠館に感謝しております。第2の人生というか、チャレンジするという意味でまだまだ生涯現役です。もう私は活躍はできないですが、子どもたちと接する時間が増えて、成長する姿を見て、楽しい、もっと教えたいと思った。私もまだバットも振れて、守備も実演が出来るので、チャンスだなと思う。

 -プロと高校野球で大切なこと

 中村氏 プロはファンに魅せる野球ですが、高校生は感謝の気持ちを持って欲しい。簡単にグラブも持てないので、道具を大事にして欲しい。その気持ちがなければ、精神的にも肉体的にも進歩しないと思う。

 -甲子園の魅力は

 中村氏 私は甲子園に行くよりもプロに行きたいと思っていた。緊張していたので、満塁本塁打を打たれて終わった記憶以外は記憶が真っ白。甲子園では高校時代は0安打でプロに行ってから甲子園で打ちました。

 -自身の目標は

 中村氏 選手指導に携わり、1人でも多く上、社会人、プロに行ってほしい。その中でメジャーにも行く選手も誕生して欲しい。

【OB】中村紀洋氏が浜松開誠館のコーチに

中村紀洋氏が高校野球コーチに 浜松開誠館で指導へ

 近鉄、中日、横浜などで活躍した中村紀洋氏(43)が高校野球のコーチに就任したことが分かった。浜松開誠館(静岡)が26日、発表した。

 同校の佐野心監督(元中日)とプロ入りが同じ91年ドラフトで、打診を受けたという。中村氏は「監督とのご縁で、守備と打撃の指導にうかがうことになりました。甲子園を目指す子どもたちの力になりたい。野球界に恩返しをしたいという思いでお引き受けしました」と決意を語った。昨年2月に学生野球指導資格を回復。今後は月1、2回のペースで指導する予定だという。

【高校野球】高山大輝氏、横浜専属コーチに

DeNA筒香同期生の高山大輝氏、横浜専属コーチに

 春夏5度の甲子園優勝を誇る横浜(神奈川)に新戦力が加わった。

 DeNA筒香の同期生で元自衛官の高山大輝(ひろき)氏(25)が常勤コーチとして招聘(しょうへい)されたことが6日、分かった。

 専任コーチは小倉清一郎氏(72)以来で、職員となり3日着任で指導に当たっている。野球部はかねて、体制強化を図る上で専属のコーチを探していた。学校と協議し、平田監督と金子部長の教え子で、人格、キャリアとも最適な高山氏に白羽の矢が立てられた。

【高校野球】元阪神ドラ1中谷仁氏が母校・智弁和歌山専任コーチ

元阪神ドラ1中谷仁氏が母校・智弁和歌山専任コーチ

 1997年の阪神ドラフト1位で楽天、巨人でもプレーした中谷仁氏(37)が4月1日から母校の智弁和歌山硬式野球部の専任コーチを務めることが17日、分かった。

 中谷氏は97年夏の甲子園で学校夏初の優勝に貢献。巨人在籍の12年で現役を引退し、13年は巨人のブルペン捕手を務めて退団。14年に学生野球の指導者資格を回復し、今年1月から智弁和歌山で週2回の臨時コーチを務めてきた。4月からは学校職員となり、常勤のコーチとして、甲子園最多63勝の高嶋仁監督(70)を支える。「高嶋先生や後輩が1つでも多く甲子園で勝ってくれるよう頑張っていきたい」と話していた。

【高校野球】専大北上新監督に中尾孝義氏

専大北上新監督に中尾孝義氏!中日、巨人で優勝

 捕手として82年に中日のリーグ優勝、89年には巨人の日本一に貢献した中尾孝義氏(60)が、専大北上高校の野球部監督に就任することが14日、分かった。スカウト担当を務めていた阪神を昨年末に退団。学生野球回復制度の研修を受け、7日に日本学生野球協会の適性認定を受けていた。昨年末に専大野球部元監督の江崎久氏から専大北上の監督就任を打診された。「当初はリトルやシニアの指導者を考えていたが、最初のオファーで母校の専大の付属高ということで決断した」と中尾氏は話した。

 専大北上は07年に卒業生によるプロからの金銭授受などが発覚して野球部を一時的に解散するなど、06年以来甲子園から遠ざかっている。「甲子園には3、4年後には出場したいけど、まずは自分の技術や精神を伝えるとともに、高校生は社会人になる1歩前の大切な時期。体づくりや人間形成に力を入れていきたい」と中尾氏。3月から本格的なチームづくりに着手する。

 ◆中尾孝義(なかお・たかよし)1956年(昭31)2月16日、兵庫・北条町(現加西市)生まれ。滝川-専大-プリンスホテル。80年ドラフト1位で中日入団。1年目から正捕手となり82年にリーグ優勝に貢献し、シーズンMVPに選出される。88年オフに交換トレードで巨人に。89年に日本一に貢献した。92年に西武移籍。93年現役引退。所属した3球団で日本シリーズ出場。引退後は西武やオリックス、阪神などでコーチなどを歴任。09年から16年まで阪神のスカウト。

【高校野球】静岡コーチに元ヤクルト小田氏、センバツへ参謀役

静岡コーチに元ヤクルト小田氏 センバツへ参謀役

 今春のセンバツ(3月19日開幕、甲子園)に出場する静岡のコーチに、同校OBでプロ野球ヤクルトなどで選手、スカウトを務めた小田義人氏(69)が就任することが9日、分かった。就任時期は未定だが、すでにOB会などの承認を得ている。

 今月7日に学生野球資格を回復した小田氏は、静高のレジェンドだ。1年時から主力となり、1年夏に甲子園に出場。3年春のセンバツでは4番としてチームをベスト8進出に導いた。その後、早大に進学してリーグ優勝とベストナインを獲得。社会人の大昭和製紙では都市対抗野球で優勝した。1972年(昭47)には、ドラフト2位でヤクルトに入団。11年間の現役生活で4球団を渡り歩いた後に、近鉄スカウトに就任。静高の後輩にあたる赤堀元之(46=ヤクルトコーチ)を獲得した。

 プロ野球経験者が、69歳にして高校野球の指導者になるのは全国的にも異例だが、大石卓哉部長(36)は小田さんへの期待を込めて言った。「培ってきた経験を選手に還元していただければ」。同校として戦後初となる4強以上を目指す上で、これ以上ない頼もしい参謀がチームに加わる。

 ◆小田義人(おだ・よしと)1947年(昭22)5月22日、静岡市生まれ。静岡の3年だった65年に阪急からドラフト指名を受けたが、早大に進学。大昭和製紙を経て、72年にドラフト2位でヤクルト入団。日本ハム、南海、近鉄でもプレーし、83年に現役引退。近鉄のスカウト、ヤクルトではコーチを経て、スカウトに就任した。